自分の「セルフケアリスト」の中に入れているもののひとつに、マンガ『家栽の人』がある。
落ち込んでいるとき、煮詰まっているときに読み返すと、少し心が落ち着いてくる。
初めて読んだのは、大学のゼミの素材になっていたからだ。ゼミのテーマは、「関係性の比較社会学〜近代的自我の社会病理学〜」。社会病理学のひとつの視覚を得るための実践的な素材として、家庭裁判所を舞台にしたこの作品が選ばれていた。
第2巻の「ヒトリシズカ」は、そこそこの地位にありながらも、いわば「青臭い」信念を貫こうとしては、何度も裏切られ、処分される管理職(少年院の院長)が登場する。
彼がやろうとしているのは、今まで他人から信頼されたことのない少年たちに、信頼される経験をもってかえってもらおうという、とてもシンプルなことだ。
けれど、何度も裏切られてしまう。
裏切られるたびに彼は泣くのだけれども、それでも、悲壮感のようなものが感じられないのは、どこかとぼけた味わいのある家族関係に、支えられているからだと思う。
そして、彼が落ち込むたびにある友人が、「ヒトリシズカ」の鉢をたずさえてやってくる。
「『ヒトリシズカ』なんて名前なのに、どんどん株がふえて、にぎやかになっていくんだよな。」
彼は妻と子に、そう言って笑い、また青臭い信念を貫いてゆくのだ。
ぼくもそのように生きたいと思う。