彼の水俣病の人たちに接する態度はいつもこんなふうだった。彼は押しつけがましく表にあらわれるあの善意というものを、むっつりと無骨な、それでいてどことなく愛嬌のある顔の奥にかくしていた。むしろ彼は、自分でもわからないままに、蓄積されてゆくいきどおりをためこんでいて、始末に困っているようにさえみえる。
(石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』(1972文庫版より))
地震・津波は、天災です。今回の地震・津波は、とてつもなく大きな規模の天災です。
では、福島原子力発電所事故はどうでしょうか。幾重にもあるとされた安全装置はすべて機能せず、現場の状況が把握できず、情報が錯綜し、対応が後手にまわり、作業員が危険にさらされながら奮闘しています。けれど、これらのことは、以前から予測され、指摘されていたことでした。
福島原子力発電所事故は、「人災」というほかありません。ここから放出された放射性物質によって、海と空と大地は汚染されました。
それでも私たちは、汚染された海と空と大地とともに生きてゆくほかありません。それが、原子力発電を受け容れてきた私たち(子どもを除く)の当然の業のようなものです。
そのなかで、しずかにためこまれたいきどおりを、それぞれの仕方で<表現>してゆくことが大切であると思っています。