水俣病を忘れ去らねばならないとし、ついに解明されることのない過去の中にしまいこんでしまわねばならないとする風潮の、半ば今もずるずると埋没してゆきつつあるその暗がりの中に、少年はたったひとり、とりのこされているのであった。(石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』(1972文庫版より))
そして今回の福島原子力発電所事故も、人は過去のものとしてしまうのでしょうか。
しかし、放射性物質の半減期は、にんげんの時間には、長すぎるものです。
だから、結局は、にんげんそのものが、忘れ去られてしまうことになるのでしょう。