死につつある患者たちの言葉

「銭は一銭もいらん。そのかわり、会社のえらか衆の、上から順々に、水銀母液ば飲んでもらおう。上から順々に、四十二人死んでもらう。奥さんがたにも飲んでもらう。胎児性の生まれるように。そのあと順々に六十九人、水俣病になってもらう。あと百人ぐらい潜在患者になってもらう。それでよか。」
 もはやそれは、死霊あるいは生霊たちの言葉というべきである。
石牟礼道子苦海浄土 わが水俣病』1972年文庫版)

 まったく同じことが、今、福島で、なされようとしています。
 そしてそれは、私たち(子どもたちを除く)が、忘れ去り、見過ごしてきたことの報いにほかなりません。

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