苦海浄土

 不知火海区の漁民たちは、上陸しようとして、みるも無残に打ち捨てられた水俣漁協所属の船たちをみて、胸をつかれた。
 ・・・
「自分たちの漁場の異変に気をとられて、話にゃなんのかんの水俣のことは聞いとったが、いっときの間に、幽霊船の港のごつきゃあなって、ガックリきたのなんの。背中から汗のすうっとひくごたる。」
 ・・・
 不知火海区漁協の人びとは、水俣湾の潮の道先に当たる、鹿児島県長島の漁民たちのことを思い出していた。長島の漁師たちは、かねがね、漁の休みに、
「百間の港に、舟をよこわせとけば、なしてか知らんが、舟虫も、牡蠣もつかんど」
 といいあっていたのである。
石牟礼道子苦海浄土 わが水俣病』1972年文庫版)

「なしてか知らんが」という現象が、福島を中心に、静かに、しかし確実に、進行してゆきます。
 人間の生活が、「生活を明るくする」原発によって、みるも無残に打ち捨てられてゆきます。

コメントを残す