「看護という職業は、医師よりもはるかに古く、はるかにしっかりとした基盤の上に立っている。医師が治せる患者は少ない。しかし看護できない患者はいない。息を引き取るまで、看護だけはできるのだ。」
(中井久夫・山口直彦『看護のための精神医学』)
「危険なのは、「人間を変えるほどおもしろいことはない」からである。この誘惑に屈しないことが大事である。「患者が変わる」のであって、医療者が患者を変えるのではない。医療者は「患者が変わる際の変化を円滑にし方向の発見をたすける触媒」、できるならばあまり害のない「よき触媒」であろうと願うのがゆるされる限度であると筆者は思う。」
(同上書)
この6月から、とある施設の相談員の職に就いています。そのこともあってより一層、上記のことばが実感される場面が多くなりました。
もちろん、「看護だけはできる」ことと、「誰でもが看護できる」ことは全くちがうことがらです。また、「患者が変わる」のだとしても、多くの場合、「患者はひとりでは変われない」のです。とはいえ、実際のところ、他人を変えようとしたところで、それも失敗に終わります。
かかわり方の専門性の課題がそこにはあります。課題や困難や病を抱える人によりそい、日常的にケアをするかかわりのむずかしさ。課題や困難や病を抱える人自身がもつ力を信じて、その力の発揮をたすけながら待つかかわりのむずかしさ。これは、「看護師」や「医療者」に限られず、対人援助者に共通することがらなのだと思っています。
(eトコ情報通信 2014年8月5日号より転載)