解放のためのたたかいは必ずそれ自体として解放でなければならない

「第一に、解放のための実践を、単に手段的行為としてでなく、それが同時に実践における解放でもあるような道として追求すること、そして第二に、したがってまた、普遍的解放への道を、物象化された<他者>たちの外からの「変革」ではなく、触発的な自己解放の無限連鎖の道程として構想すること。」
真木悠介 1971 『人間解放の理論のために』)

 なんだかこむずかしい文章ですが、要するに「解放のためのたたかいは必ずそれ自体として解放でなければならない」ということです。

 「たたかい」というと大げさでしょうか。けれどそれは、とても広く言えば、毎日を他者とかかわりながらよりよく生きていくことといってもいいでしょう。少し限定して言えば、(市民)運動といってもいいかもしれません。

 いずれにせよ、このような視点に立てば、目的のために自分を犠牲にすることも、目的のために他者を暴力的に抑圧することも、ともにしりぞけられることになります。そのような生き方こそ、「貧しさ」の表れだからです。

 このように整理したうえで、ぼくたちのライフワークとしての「eトコ」の活動が、関わる人にとってそれ自体としてエンパワメントするものになっているのか、と問うてみることができます。そんな評価が必要だなと思っています。

(eトコ情報通信 2014年9月23日号から転載)

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