日本ホリスティック教育協会という団体のニュースレター(2015年2月)に書いた文章を掲載します。eトコの情報通信に書いた小文をふくらませて書いてほしいという依頼に応えたものです。
ケアが全域化する社会のルール
「看護という職業は、医師よりもはるかに古く、はるかにしっかりとした基盤の上に立っている。医師が治せる患者は少ない。しかし看護できない患者はいない。息を引き取るまで、看護だけはできるのだ。」
(中井久夫・山口直彦『看護のための精神医学』)
ケアとキュアということは、もう語り尽くされていることなのかもしれません。病や障害や老いとともに生きてゆく時間の延長は、ケアの大切さを増していきます。あるいは、激甚災害や事故や犯罪被害などで傷を受けた人、喪失を体験している人などへの着目も、ケアへの関心を高めます。
それでも元気な人間はすぐに、治ること、快復することを考えてしまいがちです。けれど、精神の病だけでなく、高齢を生きる人たちの多くがそうであるように、さまざまな病や困難とともに生きることが当たり前の生活(人生)の時間になりそうです。「息を引き取るまで」のケアはもちろん、「看護は病院に患者が足を踏み入れた、そのときからもう始まっている」(前掲書)というように、ケアが全域化する社会です。
もちろん、「看護だけはできる」ことと、「誰でもが看護できる」ことは全くちがうことがらであり、そこに専門性の課題があります。また、ケアが全域化する社会では、それを適切に維持するしくみとルールがなければ、燃え尽きや虐待など、人間がケアにおしつぶされるという本末転倒が起こります。ケアの専門性を、属人的なものとしてだけでなく、構造的なものとして規定することが大事だと思っています。
当事者の力を信じることの困難の在りか
僕は、男女共同参画センターの相談室に、相談員として勤務しています。相談内容は、離婚やDVなどの夫婦関係が一番多いのですが、親子・きょうだい関係、職場の関係、こころの病の関係、ひきこもりやアルコール依存症などなど、ほんとうに多様です。なかには、妄想(と思われること)をずっと話される人もいます。
僕たち相談員はもちろん、何かを「治す」わけでも「解決する」わけでもなく、ただ話を聴き、一緒に考えることを通じて、相談者自身がエンパワメントされ、自分の力で解決していくためのお手伝いをするだけです。
しかし、相談者は、解決策やアドバイスを求めている場合があります。助言や情報で事足りる場合もあれば、その人自身が自分で問題を抱え切れなかったり、課題に向き合えなかったりして、誰かに解決してほしいと思っておられる場合もあります。そしてアドバイスを求める人のうちには、アドバイスを決して受け入れない人が含まれています。
当事者の力を信じ、当事者自身が自己洞察を経て、自分の力で課題に向き合っていくことを願うのですが、そのような相談支援の流れを、タイミングを「待ち」ながら、共にうみだしてゆくことは、なかなかむずかしいものです。
「危険なのは、「人間を変えるほどおもしろいことはない」からである。この誘惑に屈しないことが大事である。「患者が変わる」のであって、医療者が患者を変えるのではない。医療者は「患者が変わる際の変化を円滑にし方向の発見をたすける触媒」、できるならばあまり害のない「よき触媒」であろうと願うのがゆるされる限度であると筆者は思う。」(前掲書)
もちろん、「患者が(相談者が)変わる」のだとしても、多くの場合、「患者は(相談者は)ひとりでは変われない」のです。では、積極的に介入的な支援をすればよいのか、といえば、実際のところ、他人を変えようとしたところで、それも失敗に終わります。
相談者はしばしば、「他人を変えたい」「他人が変わってくれれば」というコントロール欲求をもっています。実はそれ自体が課題であることに気づいてもらいたい、と僕たちは考えます。そして僕たちは、相談者にそのことを気づかせようと、つまり他者を変えようとする誘惑に駆られるのです。
それは、相談者が持つコントロール欲求と同じかたちのものであることに気づいておく必要があります。非対称な援助関係での無自覚な傲慢さにつながるものでもあります。僕たち自身もそのような欲求に駆られる人間であることを自覚したうえでの、「よき触媒」としての援助者のかかわりの技術が、ケアの専門性になるのだと思っています。
ケアのかかわり方の専門性のふたつの課題について、書いてきました。
ひとつは、ケアが全域化したなかで、課題や困難や病を抱える人によりそい、日常的にケアをするかかわりとそのしくみ・ルールづくりのむずかしさ。
もうひとつは、課題や困難や病を抱える人自身がもつ力を信じて、その力の発揮をたすけ、援助者自身のコントロール欲求をコントロールしつつ、「待つ」かかわりのむずかしさ。
これは、「看護師」や「医療者」に限られず、教育関係者や福祉関係者などを含む、対人援助者に共通することがらなのだと思っています。
※ 中井久夫・山口直彦 2004『看護のための精神医学』医学書院
「行間」を書こうとされた類まれなテキスト。すべての対人援助者におすすめです。