苦海浄土 歴史にまなぶということ

「熊本から来た客に、内海でとれるはずのないまぐろの刺身をとって出したのに、水俣病を恐れてどうしても箸をつけなかった、という話が悲喜劇ふうに話された。このような形で、水俣病問題は、水俣近辺町村のみならず、不知火海沿岸全域住民の蛋白源と、漁民の生活権など社会問題としてようやく表面化した。

 なかんずく患者発生の続く漁家を抱えた水俣漁協所属の漁民たちの生活は極度に逼迫し、網を売り船を売り、借金を抱えぬ者とてはなく、その日の米麦にもこと欠く家が多かった。昭和二十八年に公式第一号患者が出てからさえ、すでに六年を経、右の状態は、放置されていた。
石牟礼道子苦海浄土』1972年文庫版)

 半世紀ほど前に、この国ではこのようなことが起きていて、まったく同じようなことが、現在も繰り返されていること自体が悲喜劇だというしかありません。

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